Hitachi Basic Master Lebel 3 時代(1982〜1984)
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親父がいつのまにか買ってきたこのコンピュータが初めてのコンピュータとなりました。
でも何に使ったか記憶がありません…。おそらく親父がずっと使っていてなかなか触れなかったのではないかと思います。
記憶装置はカセットテープでした。当時はかなり高い買い物だったようです。
ついこないだ(2001年)実家の屋根裏で発見しましたが粗大ゴミで捨ててしまいました。まだ動いたかなー? |
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PC-9801 VM 時代(1984〜1991) |
親父が仕事で使うからと買ってきました。記憶媒体は5インチのフロッピーディスクで、プリンタも付いてました。
モデムをつなげてパソコン通信もできる環境を構築(この時代では先進的!)していましたが、
パソコン通信をした記憶がありません。(今思えば、もったいない…。)
親父の会社から大型のペンプロッタを借りてきて年賀状を刷ったりと、贅沢な使い方をしていました。
このパソコンがプログラミングに興味を持つきっかけとなりました。
とりあえず Basic を親父から教わり、ベーマガのサンプルコードを打ち込む様になります。
この頃(小学生)の将来の夢はプログラマーになる事でした。(当時の文集にもそう書いてある…。)
中学生になるとそれだけではあきたらず、近くのソフト開発会社へプログラミングを教わりに行くようになります。
しかし、これが間違いの始まりで部活を終えた後の疲れきった体で頭が回るはずもなく、
教わりに行ってもウトウトするだけで終わってしまう日が続きました。
そのうち、行くのが面倒くさくなりプログラミング自体も嫌になって、教わりに行くのをやめてしまいました。
プログラムに飽きると当然次に来るのはゲームです。
この時代のゲームには名作が多く、最初に僕が夢中になったのはイースでした。
この頃、まわりにパソコンを持っている友達は居ましたが、PC-8801がほとんどでゲームの貸し借りは出来ませんでした。
高校生になって行動範囲が広がると、隣町にゲームショップがある事を知ります。
そこでコピーツールの存在を知り、所有するゲームソフトは100種類を越えます。(もう時効ですよね・。^_^;)
大須にもよく出入りするようになり、初めて自分の小遣いでハードのカスタマイズ(サウンドボード追加)を行います。
この頃、戦略ゲームの面白さに目覚め、信長の野望や大戦略シリーズを徹夜でやり込む様になります。
この頃は毎月 Login 買ってたなー。何かのきっかけで全部処分したけど、とっておけば良かったな…。
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パソコン無縁 時代(1991〜1998) |
大学生になり遊びまわるのが忙しくなるとパソコンはまるっきり触らなくなりました。
そのうち、PC-9801が壊れて動かないようになり、ディスプレイはもっぱらTV専用になりました。
(当時ではめずらしいチューナー付きだった…。)
社会に出てもパソコンを触らない日々が続き、パソコンとは無縁な生活を送り続けます。
時代は Windows95 が発売されて Windows 全盛時代に突入しようとしていました。
(当時は何を騒いでいるのかもわからなかった…。) |
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Basic開発 時代(1999〜2001) |
二度目の転職で現在の会社(ソフトウェア開発)に就職します。
当然、日常業務にパソコンを使用するのですが、Windows の「ウ」の字も知りません。
バイトの子よりも知識が無く、とりあえず Windows を覚える事に必死な毎日でした。
そのうち、Basic による開発を行なうようになり、プログラミングの勘を取り戻します。
まだ Basic での開発だったので何とかついていけました。もし違う言語だったら全くついていけなかったでしょう。
(今だに Basic で開発をやっている事が信じられませんでしたが…。(^^ゞ)
こういう仕事についたからと、結婚を期に新居にもパソコンを買い揃えました。 |
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BCB開発 時代(2001〜2004) |
PG としての仕事にも慣れてきた頃、会社の方針として C/C++ に移行する事になりました。(かなり遅い移行ですが。)
Pascal とも迷いましたが結局 C/C++ に移行することに決めて、外部から講師を呼び必死で勉強しました。
ただ、3ヶ月で C/C++ を覚えるというスケジュールでしたので、基本部分はかなり省略しました。
この頃のメモを見てみると、2月に C/C++ の勉強開始、5月に開発ツール(Borland C++ Builder)の勉強開始、
9月にもう社内プロジェクトが発足しています。
開発ツールには Borland C++ Builder を選択しましたが、この選択は合っていたと思います。
初心者には使いやすいツールと言えるのではないでしょうか?
全員が1からのスタートでしたので、とにかく負けまいと家でもかなり勉強しました。
そうこうするうちにプログラミングの楽しさを思い出してきて、この時期はかなりプログラミングにのめりこみました。
(ずっとパソコンにかかりきりなので、嫁にかなり文句を言われました。)
BCB をある程度扱える様になると SDK を覚え始めます。
そのうち自分のホームページが作りたくなり HTML と JavaScript を覚えました。
いろいろな言語にも興味が出てきて Java も少しかじりました。
この頃から SE 的な仕事もするようになります。
自作ソフトも公開するようになり、初めて雑誌に掲載された時はかなり嬉しかったのを覚えています。
勉強ついでに作り続けてきたソフトも、現在ではかなりの数(くだらないものもありますが…。)になり、
BCB の Tips も公開するようになりました。
会社ではホームページ作成の仕事までするようになり、ドリウィの使い方を覚え、
ついでにSEOとか導線構築、ユーザビリティ、アクセシビリティについても個人的に勉強しました。
おかげで本サイトのアクセスも飛躍的に伸び、売れるHP作成のコツがわかってきました。
又、3年に渡ってBCB の Tips を紹介してきましたが、諸事情により有料コンテンツ化しました。
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独立開業時代(2004〜現在) |
孔子の論語に「30にして立つ」という一節がありますが、私も30歳を過ぎ、子供も出来て、
今後の人生のあり方について真剣に考えるようになりました。
自分自身の力を試したいという気持ちに加え、子供が小さいうちになるべく触れ合う時間を作りたい…
という気持ちが重なり、独立開業を決意しました。
実は、この子供と触れ合う時間を増やしたいという気持ちはある言葉がきっかけとなっています。
「子供が小さい時は2度と帰ってこない。子供が父親になつくのは5歳までで、それまでならキスしたって、
抱っこしたって、お風呂に一緒に入ったって喜んでくれる。5歳以降、そんなチャンスは二度と来ない。
特に女の子の場合は。」…というものです。
残業残業で、帰ったら子供は寝てるとか、休日もろくに子供と遊んであげられないという日が続く中で、
この言葉は胸に響きました。
長い間悩みましたが、幸い妻の理解と協力が得られましたので、2004年9月1日 に独立開業致しました。
現代社会では30歳から起業なんて遅すぎるかもしれませんが、孔子の言葉を糧に頑張っていきたいと思います。
何事も遅すぎると言う事は無いと思います。
いずれにしても、自分が自分で見出した路を歩み始めてしまったら、他人が自分のために舗装した道を歩く事は
できません。
事業を起こす事は簡単ですが、事業を継続させる事が一番難しいと思っているので、気を緩めずに
頑張って行きたいと思っています。
予想外にいいスタートダッシュが切れて、寝る時間もないくらい忙しい状態が続いています。
嬉しい悲鳴なんですけどね…。^_^;
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